何もできていない気がする。そう感じながらも、毎日を丁寧に生きている。そのひとつひとつは、本当に意味がないのだろうか。
あなた方は生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。
—— ペテロの手紙第一 2章5節
誰も見向きもしなかった石が、礎になった
捨てられた石を、想像してみてください。
野積みにされたまま、雨にさらされ、風に打たれる。誰も拾わない。何の役にも立たない。そこに未来など、誰も見出さない。
ペテロの手紙はそのイエスを、まさにそう描きます。「人には捨てられた」と。
けれど聖書はこう続けます。神の目には、その石は「選ばれた、尊い、生ける石」だったと。
神がその石に目を留めた。そして礎に据えた。そこに他の石が組み合わさって、家が建ち上がっていった。
誰も気に留めなかった石が、すべての重さを支える礎になった——それが、この箇所が語ることです。
「生ける石」として呼ばれている
この手紙が書かれた相手は、華々しい人たちではありません。
ほんの最近イエスを知って、まわりからは「何を今さら」と不思議がられ、攻撃さえされていた人たちです。誇れるものが何もない。実績も、権威も、歴史も、ない。
そういう人たちに向かって、ペテロは書きます。「あなた方も、生ける石として築き上げられなさい」と。
「生ける」という言葉が、ここでは大切です。置物の石ではない。命がある。だから積み上げられる。つなぎ合わされる。何かを支えることができる。
かつては神の民ではなかった。今は神の民となった——その変化は、本人が何かをしたからではありません。招かれたのです。そこに置かれたのです。
そこにいること自体が、役割である
この手紙は「祭司として歩みなさい」とも言います。
祭司の仕事は、二つです。人の思いを神の前に持っていくこと。そして神の言葉を人のところへ持ち帰ること。
その間に立つ存在。行き来する存在。
目に見える成果を出すわけではありません。大きな決定をするわけでもない。ただ、その間に立ち続ける。
何もできないとき、ただそこにいることが、すでに祭司の役割に似ています。
祭司は何かを解決するのではなく、神と人との間に立つのです。その場所に立ち続けることが、仕事なのです。
一日一日の言葉、表情、傍らにいること——それが積み重なって、一年後の、三年後の何かを形作っていく、とこの箇所は言います。
見えないやり方で。静かに。でも確かに。
あなたの毎日の関わりの中で、神が何かを紡いでいるとしたら——それはどんな場面だったと思いますか。
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