「選ばれた」のは、完璧になってからではなかった

「選ばれた」のは、完璧になってからではなかった

「選ばれた」と知ったとき、それはまだ何も持っていない自分への言葉だった——そう気づいた時、正しく生きようとしてきた疲れが、少し違って見えてくるかもしれません。

神はあなたがたをはじめから救いにお選びになった。(テサロニケ人への手紙第二 2章13節)

「あなたでは足りない」という声

「私の伝え方がまずかった。もっと丁寧に説明すべきだった。」

夜、画面を閉じたあとにそう思う。
正しいことを言っているはずなのに、届かない。
変わらない。
そのたびに、問題は自分の側にあると結論づける。

2000年前、テサロニケという街の教会が混乱していた時のことが記録されています。

「偽キリスト」と呼ばれる人物が現れ、こう言いました。
「あなたが今持っているものでは不十分だ。私の言うことを聞きなさい。」

これを聞いた人たちは揺れました。
「もっと足さなければ。もっと従わなければ。このままではだめなのか。」

その声の構造は、今もどこかで聞いた気がします。
「もっと丁寧に。もっと正確に。もっと完璧に。」
自分の内側から毎日聞こえてくる声と、同じ形をしています。

「はじめから」という言葉の重さ

パウロはその混乱した教会に手紙を書きます。

「神はあなたがたをはじめから選んでいる。」

「はじめから」という言葉が、ここでは鍵になります。

何かを成し遂げてから、ではありません。
十分に準備ができてから、でもありません。
まだ何も持っていない、その最初の最初から、神は目を留めていた。

「御霊による清め」というのは、私が品行方正になったから認められた、という話ではないと書かれています。
不十分なまま招かれた。
罪深いまま呼ばれた。
それが聖書の言葉です。

「真理による信仰によって」というのも、恐れに駆り立てられてではありません。
「このままでは足りない、もっとしなければ」という焦りからではなく、神がすでに用意した道があると知って、そこを歩くことです。

つまり、「はじめから選ばれた」とは、完成した自分が認められる話ではなく、まだ何もできていない自分に神が先に動いた、という話なのです。

「そこで」の前に何があるか

15節にこうあります。
「そこで、硬く立って、守りなさい。」

この言葉だけを取り出すと、やはり「ちゃんとしなければ」に見えます。

でも「そこで」という言葉は、前の話を前提にして続きます。

「神があなたをはじめから選び、召し、キリストの栄光に至らせてくださる——そこで、あなたはどこにいるか。すでにその道の上にいる。だから立て。」

スタートラインにすら立っていないから頑張れ、ではありません。
すでに道の上に置かれているから、ここに立っていなさい、ということです。

「何かを足してから始まる」のではなく、「すでに始まっている場所で立つ」という言葉です。

足りないから動くのではなく、すでに招かれているから動く。
この違いは、見た目には同じ行動でも、根っこがまるで違います。

足りないから動き続ける人は、いつまで経っても足りないままです。
すでに招かれているから動く人は、疲れ果てた夜にも、どこかに帰る場所があります。

目次

一つの問い

どこかから聞こえてくる「これでは足りない」という声は、何を根拠にしているのでしょうか。

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。
動画はこちら


メタディスクリプション(120〜155字)
「あなたでは足りない」という声が、毎日どこかから聞こえてくる。正しく生きようとしているのに、なぜこんなに疲れているのか。聖書は「はじめから選ばれた」と言う。完璧になってからではなく、何も持っていない最初から——その言葉が意味することを、一緒に考えます。

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この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ライフコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。「人生を楽に、面白がろう」をテーマに、伝える/つなげる/仕えるをスキルアップするブログ「のぶメモ」、平日毎朝の音声番組「あさのば」を公開している。

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