どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2017年7月20日木曜日、第119回目の放送です。
イエス・キリストのたとえ話から、4つの種の話を紹介します。
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2017年7月20日木曜日、第119回目の放送、お相手は中澤信幸です。
種と実りのたとえ話
ちょうど7月20日というのは、私たちが子供の頃には、夏休みに入る日でした。学校から大きな荷物を持って帰ってきてですね。夏休みが始まる喜びがあったものです。宿題の中には、ひまわりの観察日記、朝顔の観察日記ですとか。この頃は稲ですね、お米を育てていて、それを持って帰ってきて、なんてこともするようです。
そんなことで、イエス・キリストのたとえ話の中にも、種が実っていく、そういうたとえ話がたくさん出てきます。今日はそのうちの1つをお話しします。
蒔かれた4つの種と実り
種がまかれた。道端に落ちた。鳥が来て食べてしまった。もう1つの種は土の薄い岩地に落ちた。根付かずに、焼けてしまって、枯れてしまった。もう1つの種は、土に落ちて成長しようとするけれど、いばらが行く先を塞いで成長を阻んでしまった。4つ目の種は良い土地に落ちたので、豊かな実を結んだ。
聞くこと、その結果
このたとえ話は、イエス・キリストが語ったことを聞いて、どういう結果になったか、ということのたとえです。聞いたこととその結果を表しています。
道端に落ちた種というのは、聞き入れることもしなかった。土の薄い岩地に落ちた種は、聞きはしたんだけれども、自分の中に根付かせようとしなかった。いばらがふさいでしまったというのは、聞いて自分のものにしようとしたんだけれども、他の考えとか、他の都合とかが優先した結果、本来の実を得ることができなかった。良い地に落ちた種は、聞きもしたし、自分の中にそれを根付かせようともした。結果、十分な実、それが持つ本来の実を得ることができた。そういうたとえ話になっています。
聞く耳のある者は聞きなさい
「聞く耳のある者は聞きなさい」とイエス・キリストはよくおっしゃいました。聞く耳を持つ、ということですね。ただ単に耳から情報が入ってくるだけではなくて、それを自分のものにしていく、自分の生き方の実にしていく生き方のことを指しています。
同じ忠告やアドバイスなんですよね。種自体には何にも変わりはないわけです。でも、受け入れる側によって、それが豊かな実りにもなれば、鳥が来て食べてしまうことにもなるわけですよね。忠告やアドバイスについてですね、せっかくなのですから、自分のものになるように受け入れていきたいと思うんです。
私のために語られることば
皆さんにもさまざまに語りかけてくれる人がいるのではないでしょうか。ちょっと聖書の話から逸れますけれども、自分の周りに忠告をしてくれる人や、アドバイスをしてくれる人、自分のためになる言葉っていうのが、私たちのまわりにたくさんあると思います。
それをどうするかですよね。聞く耳を持つのか、自分のものにしようとするのか、それとも全然そういうことにはかまわないで自分の生き方、今までの生き方をそのまま貫いてしまおうとするのか。是非、このところを考えてみていただきたいと思うんです。
聞いて、考え、取り組む
この考えるっていうことが、とても大事です。聞いた言葉と自分の現実とを向かい合わせてみて、どうなんだろう、と考えてみて、自分のものにしていくプロセスですね。
あなたは人の言葉をどんなふうに聞いていますか?そのことばに自分の生き方を変えられる帰られる可能性を見出していますか?
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