どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2017年8月3日木曜日、第129回目の放送です。
イエス・キリストが語られた、自然に成長する種のたとえ話を紹介します。
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2017年8月3日木曜日、第129回目の放送、お相手は中澤信幸です。
天の御国のたとえ
イエス・キリストはよく天の御国についてのたとえ話をされました。天の御国とはこういうものだ、というたとえ話です。その意味は、神が支配するところはこういうところだ。神が支配するやり方というのは、こういうものだ。神が考え、願っていらっしゃるのは好意事だ。そういう神の現実を表すたとえ話になっています。今日のたとえ話も、そういうものです。
地に蒔かれた種
神の国は、人が地に種をまくようなものだというんですね。人が寝て、起きて、寝て、起きて。これを繰り返している間に、種はその地面から芽を出し、やがて成長していき、穂をつけ、実を実らせる。人はその実が実ったところで、かまを入れて収穫をするじゃないか、というものなんですね。
神が多くのことを背後で
このたとえ話、一体何を語っているのでしょうか。これは、神様がしていることと、人がしていることを比べてみるとどうなんだろうか、というたとえ話です。人がしているのは、寝て、起きて、寝て、起きて。収穫の時にかまを入れる。神様はその背後にあって、導いて、育てて、実を実らせてくださっている。
種は地面から芽を出して、成長していく。人はそれにあまり関わっていない。結局のところ、結果を、収穫をありがたく刈り取らせてもらっているにすぎない。そんなたとえ話です。神が、私たちの知らないところで多くの導きを与え、多くの守りを備え、そして私たちに豊かな実りを与えてくださってるじゃないか。そんな背後にある大きな守りや導き、豊かな恵み、祝福、そういったものを教えてくれているたとえ話になりますね。
私の歩みが変わってくる
神様が背後で、ということを知ると、私たちの生活もずいぶん違ったものになってきます。ひとつは神様に感謝するということを知るでしょう。私が何もしていないのに、神様はこんなに素晴らしいものを、良きものを多く与えてくださっていると感謝することです。
もうひとつは神様の前にヘリくだるという思いも与えられるでしょう。私は何ほどのものでもない。神様が多くを与えてくれている。そのおかげで私は生きている、という自分自身のへりくだりです。
さらには、このお方に信頼するということも出てきます。私が失敗をしても、うまくできなくても、確かにこのお方は私の知らないところで、私の背後にあって、大きな守りを備えてくださっている。そんなふうに信頼をするということです。
そして最後には、自分に与えられていることについて喜びが出てくるということですね。自分は何者でもないにもかかわらず、神様が私のために与えてくださった。それを私は生きることができる。自分の努力の賜物として生きるのではなくて、神様から与えられた賜物として生きることができる。だから私は単に自分の人生を生きてるんじゃなくて、神様から与えてもらった良い人生を生きてる。
そういう中で、自分のするべきことに関わっている、自分のやるべき責任を果たしている、という喜び。確かに、神様がしてくれていることから比べれば、ほんのわずかかもしれませんけれど。でも、毎日毎日それをさせてもらっている、神様と共にそれをしている、ということの喜びが出てきます。
背後にある神の前を歩む
そんなふうに私たちの歩みが、背後におられる神様とその前を歩む私たち、という図式で、喜びに満ちたものであるように願っています。
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