0164 何のために知識をたくわえるのだろう?

 

どうも、早起き牧師の中澤信幸です。

 

2017年9月28日木曜日、第164回目の放送です。

 

イエス・キリストの語られたたとえ話から、蓄えた知識の用い方についてお話します。

 

 

[note]

2017年9月28日木曜日、第164回目の放送、お相手は中澤信幸です。

 

天の御国についてのたとえ話

毎週木曜日は、イエス・キリストが語られたたとえ話を紹介しています。今まで、天の御国についてのたとえ話をいくつか紹介してきました。例えば、毒麦のたとえですとか、からし種の例えですとか、あるいはパン種の例え、宝物、真珠、とれた魚のこと。そんなふうに、天の御国についての話をしてきました。天の御国、それはつまり、神の支配する領域、神様の手の中での成り立ちのことですね。

それをイエス・キリストは語り終えられた後に、弟子たちに「このことがみなわかりましたか」とに尋ねられたんですね。すると、弟子たちは「はい」というふうに答えました。麗しい、良い先生と生徒の関係が成り立っていることがわかります。

 

倉から出す主人のようなもの

そして最後にですね、イエス・キリストはそれをまとめるようにしてこう言われたんですね。「天の御国の学者となった弟子たちはみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも出し入れする、一家の主人のようなものです」というふうにたとえて言ったんです。これはですね、蓄えた知識をふさわしく取り出して活用していく、そういう主人のようなものだと言うんですね。

イエス・キリストから弟子たちが聞いたこと、それを学んだこと、頭の中に知識として蓄えたこと、それだけでは不十分で、それをきちんと活用していくこと。この知識を活用するってどういうことなのかと言いますと、まず知識というのは理解して、自分の頭の中に蓄えられていく必要がありますよね。記憶されていく、と言うことでしょう。正しくその意味を理解すること、それを自分の中に記憶させる。

 

ふさわしく自分に適用すること

でも、それだけだと、倉にに蓄えただけになってしまいますので、それを自由に出し入れする、出すということが大事になります。倉から出すっていうと、ひとつは自分に対してふさわしく適用するっていうことがあるでしょうね。知識として蓄えただけではなくて、それを自分の事として受け止めて、自分の生き方に役立てていく。

 

人のためにふさわしく提供すること

もうひとつは、自分に適用するだけではなくて、人に提供するということも必要ですよね。その倉から出したものを、自分のためだけではなくて、必要な人のところに届けていく。知識について言えば、教えるとか、紹介をするとかですね。その言葉をもって、人の役に立っていくとか、そういうことになるだろうと思います。そういうふうにして、天の御国の学者となった弟子たちはみな、新しいものでも古いものでも取り出す一家の主人のような者、そのことが理解できるでしょう。

 

みな例外なく

もう一つお伝えしたいのは、このところにですね、小さな「みな」という言葉が入っています。そういうふうに聞いて理解をした弟子たちは「みな」と言うんですね。これは、1人の例外もなく、みんながそうだということを表しています。一部の人たちだけではありません。信仰的なことで言えば、牧師さんのような特別な訓練を受けた人たちだけ、というのでもありません。信仰歴が長い人だけでもありませんね。立派な尊敬されるような信仰者だけっていうのでもありません。

聞いて理解をした者は、「みな」です。そこには誰彼という区別はなくて、一人一人私がという意味が含まれています。そんなふうにして私たちはですね、何か特別な学者や、専門家でなくても、自分が知っている範囲で自分の知っていることを、ふさわしいとき、ふさわしいかたちで用いることができる。

 

あなたはどんな知識を持っていますか?特別なことでなくてもいいんです。自分の経験から学んだこと、自分が学校で学んだこと、あるいは信仰的に学んだこと。そういった一つ一つのこと、あなたの財産のようなものですね。倉にたくさん蓄えられた財産のようなものです。ぜひ、自分のために活用するとともに、人の役に立つために適用したり、紹介したり、教えたり、役立ててください。

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中澤信幸(キリスト教牧師✕ライフコーチ)

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