どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2017年11月2日木曜日、第189回目の放送です。
イエス・キリストが祈ることについて教えたたとえ話を紹介します。
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2017年11月2日木曜日、第189回目の放送、お相手は中澤信幸です。
パンを分けてくれ
毎週木曜日は、イエス・キリストが語られたたとえ話を紹介しています。今日のたとえ話は、こんなたとえ話ですよ。
夜中に友人が旅の途中で家に立ち寄りました。もうみんな寝静まっていたわけです。親しい友人だとわかった主人は、起き上がって、彼を家に迎え入れます。何か食べさせてやろうと思いました。が残念ながら、この家には間に合わせのパンがありませんでした。思い立って、別の友人ところに行って、そしてパンを分けてくれるように頼みます。
扉をどんどん、どんどん。「夜遅くにすまんが、友人が来たんだ。食べるパンがないので、食べさせやりたい。どうかを分けてくれないか」ところが家の中からその友人は答えます。「今何時だと思ってるんだ。面倒かけないでくれ。扉だってもう閉めてしまったし、子供達も寝ている。あかりをつけてわざわざパンを出してやるなんてことはできない」それは当然のことでしょう。
あくまでも頼み続けるなら
でも、イエスキリストはこう言ったんです。その友人も、友だちだからといってわざわざ対応はしてくれないかもしれない。けれども、あくまでも頼み続けるならば、もううるさいからといって、それで答えてくれるに違いない。だから求めなさい。求め続けなさい。たたきなさい。叩き続けなさい。
これは祈ることについて教えた、たとえ話でした。神に求めて祈ること、それを諦めないで続けなさい、ということです。
神はあなたのしようとしていることを
もちろん、このところで言われている、別の友人ですね。神様はあなたが頼んでも、もう夜遅いから、めんどくさいから、扉も閉めてしまったから、そんなの無理だ、とそういうふうにいう神様ですよ、ということを教えているのではもちろんありません。友人だとしたら、そういうこともあるだろうけれども、考えてごらんなさい、神様はあなたのしようとしてることをよく知っていらっしゃる方じゃないか。あなたがなんでそれを求めるのかを知っていらっしゃる方じゃないか。どうして、何のために、それを求めてるのか、分かっている方が、足蹴に退けたりするだろうか。あくまでも頼み続けなさい。そして求め続けて、与えられ、開くのを待ちなさい。そういうふうに言われているわけなんです。
どうしてもあきらめられないこと
祈る側の姿勢として、答えが出ない、なかなかその導きがない、そうすると諦めてしまいたくなるものです。もうこんなことはどうでもいいか、と思ってしまうものです。それで本当に諦められるようなことなら、確かにどうでもいいのかもしれません。しかし、わたしたちの心の内には、本当に切なる思いで祈り求めたいことがあります。自分の課題で、これをどうにしかしなければ前に進めないっていうことがあったりします。で、それはやっぱりあきらめてしまってはいけないこと。求めるのを止めてしまってはいけないことなんですね。
求め続けなさい、叩き続けなさい、探し続けなさい、と言われています。私たちはそういう風にして大切なことを大切なものとして、またはそれを神様に対して求め続ける。そういう思いと歩みを続けていきたいと思います。
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コメント
あきらめずに祈ることって本当に忍耐を要しますね。
神様側の祈りはすぐに答えられるのに、
自分のことについては、なかなか答えられない。
祈り続けている間に整えられるのでしょうか。
神様に期待して、祈り続けてみます。
ジャスミンティーさん、コメントありがとうございます。
そうですね、忍耐、必要ですね。
神さま側の祈りはすぐに聞かれる、思わず苦笑いしてしまいました。
よい導きがありますように。