どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2017年12月13日水曜日、第213回目の放送です。
心を支配して居座る怒りの感情をどうしたらいいか、5つのことをお話しします。
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2017年12月13日水曜日、第213回目の放送、お相手は中澤信幸です。
やっかいな怒りの感情をどうするか
怒りの感情が心に湧いてくる、それが心を支配してどうしても離れない、その後の自分の行動を大きく左右する。そんな経験ありますよね。一体これはどうしたらいいんだろうか。
月曜日には、3つのことをお話しました。怒りの感情が湧いてくるというのは自然なことですよね、っていうのがひとつ。必ずしも悪いことばかりではありませんよね、というのがふたつ。でも厄介ですよね、というのがみっつめでした。
今日は実際にその厄介な部分をどうしたらいいか、つまり心に怒りが居座り続けてしまって、どこにも行かない、その時どうしたらいいかっていうことを少し考えてみたいと思うんです。
1. 支配されない、と心の準備をする
まずひとつめのことはですね、心の準備をしましょうっていうことです。怒りに心を支配されるっていうのは、本当に損だって思いませんか。そもそも自分が悪い訳では無いのに、誰かのせいでこんな嫌な気持ちにさせられるわけです。しかもその気持ちのをずーっと引きずらなきゃいけない。結局このことの犠牲者になってしまっているわけですよね。自分が嫌な思いをさせられたにもかかわらず、ずーっと続いてしまうと、本当に理に合わない、理不尽なことです。そんなことにはならないぞ、私はそんなことには負けないぞ、そんなふうにして私の歩みを台無しにされたくない。こういう心をまず持つことをがいいかなと思います。怒りに支配されないように、自分の中でまず心の準備をすることですね。
2. 表現して区切りをつける
そして、実際に起こってきてしまった怒りの感情をどうしようかっていうことが、ふたつめです。表現をする、表現をして区切りをつける、ということを身につけるといいかな、と思うんですね。怒りっていうのは、我慢しても、どこにも行かないような気がします。そういう意味では怒りを受け止めてですね、わたしは怒ってる、ということを表現することが、やっぱり大事になりますよね。
でも、相手に向かって怒りを爆発させて、喧嘩をしても… あるときにはね、それも必要かもしれませんけど、たいていの場合、良い事は生み出さないものです。ですので、自分の側で怒りの感情をどう処理するか、っていうことを考えなくてはいけませんよね。
一番いいのは、誰かに話してしまうことだろうと思います。私は怒ってるんだ、こういうことがあって怒ってるんだと言いはじめると、たぶん心の中の怒りっていうのが出ていくっていうか。表現をすることによって、自分も、あっ怒ってる、怒りきった、区切りがつけられる、というふうになっていく可能性が大きいですよね。表現すればするほど、怒ってしまうという場合もあるとは思いますけど。
表現するという意味で、誰も近くにいない、こんなこと誰にも言えない、というときにはどうでしょうか。紙に書くっていうこともあるかなと思うんです。きれいな字で、行儀よくなんて書かなくてよくて、ありったけの思いをこめて、ガッガッと紙に書きなぐっていただいて。私はこんなに怒ってるんだ、というのを表現して。職場であれば、シュレッターでウィーンって。それで気持ちを切り替えていただく。
表現をすることをお勧めしますけど、どこかで区切りをつけることも大事になります。ある人は時間で区切りをつけるって言っていました。15分は怒ってもいいけど、15分以上は引きずらない。あの人のそんなことで、こんな迷惑はもうごめんだって。いさぎがいいですよね。いずれにしても、表現して区切りをつける。
3. あわれみの感情を育てる
もう一つお勧めしたいのは、あわれみの感情を育てるっていうんでしょうかね。確かに相手はひどい人で、そして自分に非は無いわけです。でも、考えを変えてみると、この人は非常に可哀想な人なんですよね。そういうふうにしか人と接することができないとか、そういうふうにしか表現をすることができない。本当に伝えたいのは、本当にしたかったのは、もう少し違うことかもしれません。もしかしたら、いいことを願ってるのかもしれません。でもこんなふうにしか生きられない、かわいそうな人。
そんなふうに相手のことをあわれむ感情を育てていく、ということです。そうすると、怒りとして出てきたものが、あわれみとして、仕方がないか、とかですね。相手に対する優しさというものに変わっていくでしょう。そういうあわれみの感情を育てる、ということがもう一つ、積極的な意味で求められることになっていきます。
4. 自分の中の怒りの感情を片付けておく
そして、よっつめです。自分の中の怒りを片づけておく、っていうことをお勧めしたいと思います。これはそのときにっていう意味ではありません。普段に、という意味です。
自分の中に、ひとつの怒りで誘発されて、もっともっと怒りが出てくるっていうことがあるんだろうと思うんです。実際に起こってる、目の前のこのことだけではなく、あの時もそうだったし、このこともそうだったし、そもそも私の人生の中ではああいうことも、こういうことも、というように、自分の中にあるもともとの怒りっていうのが誘発されて、心の中を占めてしまう。
そのとき限りのことではないので、根が深くて、たちが悪いですよね。私にとって、人生の中の怒りというものがあるとするならば、それを片付けておくことです。ずっと正当に評価されてこなかったとか、報われなかったとかですね。自分はいつも損をしてきたとか、いろんな感情の中に怒りっていうものがあるんじゃないかと思います。それを、目の前のひとつのことで誘発されて、根深い怒りまで到達してしまわないように、かつてのこと、自分が人生で抱えている怒りを、ひとつずつ片付けておくことが大事になるでしょうね。
5. 神さまに預ける
さて、5番目です。これは、信仰者の人にしか言えないかなぁと思っているんですけども。神さまに預けるっていうことが、私が考える究極的な怒りに対する対処法かなと思っています。
これは自分の責任の範囲じゃないんだ、っていうことを受け止めることですね。この人に対して、私がどうこう思うよりも、神様がどういうふうに思うか、そこに任せようと。もしこの人が悪ければ、神様もそういう扱いをするだろうし、もしこの人が本当は正しいのであれば、まあそれはそれで神様もそう扱われるだろうし。ここは私ではなくて、何もかもを知っていて、見ていらっしゃって、わかっていらっしゃる、そして私のことを何より心にかけて下さっている神様に、これは預けようと。
そういう思いになれたら、怒りに対する感情もずいぶん違ってくるように思います。これは、信仰を持っていらっしゃらない方には、そんなことできるのかなーとか、そんなの神様なんていったって、というところあると思うんですけど。まあ、私はそういうふうに考えますよーということで、聞いておいていただけたらなと思います。
皆さんからの声、お考えもお待ちしています。ぜひ木曜日のお昼ぐらいまでに寄せてください。金曜日にご紹介したいと思います。あなたは怒りの感情をどう対処していますか、教えて下さい。
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コメント
私も似ているのですが・・・。
1)友人・同僚にひたすら話して聞いてもらう
2)同じ一日を過ごすなら笑っていた方がいいので、
なるべく早く気持ちを切り替えて、笑顔で過ごすようにする。
3)一応クリスチャンなので、神様に怒りを受け止めてもらう。
あとはエペソ人への手紙4:26の御言葉を思いだす。
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この聖書箇所を正しく理解しているかどうかはわかりませんが^^
こんな感じです。