どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2018年4月26日木曜日、第309回目の放送です。
イエス・キリストが語られた8つの幸せのうち、4つ目の幸いをお伝えします。
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イエス・キリストが語った幸い
イエス・キリストが語られた、八つの幸せがあります。これまで三つ紹介してきました。今日は、四つめになります。
[bctt tweet=”義に飢え渇く人々は幸いである、その人たちは満たされる。マタイの福音書5章6節 ” username=”nobun”]
いま求められる義
義というのは、まっすぐであること。まっすぐ、整っていて、正しいことを意味しています。あるべき姿があり、そこにぴったりと添っている、ふさわしい形である。そういう正しさです。
今の時代、私たちの周りでは、色んな不正がはびこっています。リーダーたちの中でも、正しくないことがまかり通ってしまう状況があるでしょう。そういうことの中で、正しいことを求める思いがあります。なんでこんなふうになってしまったんだろう。もっと正しくあるべきなのに。本当に正しいことが必要である。
不義のゆえに苦しむ人々
しかし、ある人々はそういう中で、もっともっと真剣に、飢え渇きのように求めているというのです。飢え、渇くというのは、それがないと死んでしまう、という状態です。食べ物がないと死んでしまう、水がないと死んでしまう。そういう切実さを表しています。
それほどまでに追い込まれている人たちということです。不正があるところに、そのことによって利用されたり、損害を被っていたり、存在を脅かされたりする人がいます。正しくなくて良くないな、という以上に、こんなことが続いたら私は死んでしまう、という追い込まれた人々がいるのです。その追い込まれた人々に対して、義に飢え渇く人々は幸いである、と言われています。
神のみがもたらす義
一体、義に飢え渇く人々は、何を求めればいいのでしょうか。この指導者が、この社会が、この状況が、正しくなってくれることを求めるだけでは不十分です。神の義を求めるんだというのです。
神が働いて、私たちの間に義をもたらしてくれること、それを求めるんだ。人が正しくなることよりも、神がこのことのすべての中にご自身の正しさ、救いをもたらしてくれることを求める。
必ず満たされる
そういうふうに求める者は幸いである。なぜなら、その人たちは必ず満たされるからである。神の義に満たされる、神の義を喜ぶことができる。自分に与えられる救いに望みをかけて、失望させられることは決してない。そんな幸せをイエス・キリストと説きました。つまり、それはイエス・キリストご自身が、そのような義をもたらす、という約束でもあったのです。
様々な不義、不正の中に、困難に甘んじなければならない方々のことを思います。ぜひ、イエス・キリストにある義がもたらされること信じて、希望をもち、力を失わずに、歩むことができますように。
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