どうも、あなたのサーバント中澤信幸です。
2018年10月18日木曜日、第434回目の放送です。
イエス・キリストは十字架で処刑されました。
本来ならばそれで終わりのはずです。
しかし、キリストはその後も残る、人々のつながりを生み出されました。
そんな十字架の上のことばを紹介します。
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私の母をよろしく
イエス・キリストが十字架の上で語った、もうひとつのことばを紹介します。十字架のそばには、イエス・キリストの母マリヤがいました。イエスにずっと付き従ってきた、一番弟子とも言うべきヨハネという人物がいました。母マリヤに向かって、イエスはこう言いました。「女の方、そこにあなたの息子がいます」ヨハネに対しては、こう言いました。「そこにあなたの母がいます」
意味は、表面的にはこうです。長男である自分がいなくなる。おそらく父はもっと早い段階でいなかったと思われます。そうすると、自分が母マリヤの面倒を見なければいけない。でも、自分は十字架で死ぬ。母のことを気遣って、その歩みを弟子に託した。これが表向きの言葉の意味です。私の弟子であるヨハネ、私が去って行く時、母マリヤをよろしくな、と頼んだ。お母さん、ヨハネを息子代わりにして頼ってくださいね。
信じる者同士のつながり
もう少し深い意味は、イエス・キリストにある、お互いの関係を生み出すことでした。イエスが救い主である、と信じるのは、イエスと私との間の関係です。一対一の関係ですね。多くの弟子たちがいるというとき、一人一人の弟子がイエスと結びついているという関係です。イエスは、この十字架上で、イエスを信じるお互い同士を結びつける言葉をお語りになりました。そこにあなたの兄、妹、姉、弟、父、母、家族同然に結ばれていく相手がいるのだ、とお示しになったのです。同じイエス・キリストを信じる者達同士、家族同然に結ばれて歩んで行くんだ、ということです。
もはや、イエスと私の関係だけではなく、同じイエスを信じる私とあなた、私とあの人、という私たちの関係ができあがります。キリストは、ご自分が十字架の上で命を落とされるとき、何を残したのか。同じイエスを救い主キリストであると信じる人たちの横のつながりを生み出したのでした。
私はどんなつながりを残すのか
私たちは、自分自身がこの世を去るとき、どんな人間関係を残していくのだろうか?考えてみたいと思います。私と親しい人との関係は、地上の命が終わって行く時に、一応の区切りを迎えます。でも、その横の関係ですね。私と一緒に歩んだということを共にする、もしかしたら本人たち同士は知り合えないかもしれなかった、この人とあの人。私の友だちが、友だち同士も仲間になっていく。どんな仲間になるかは、私がどう生きたかによって決まってきます。私がどんなふうに、何を大切にして歩んだか、それによって残されていく人たちの関係が違ってくるでしょう。
例えば、家族の中で、おじいちゃんやおばあちゃんが亡くなるときの事を考えてみればいいでしょう。おじいちゃん、おばあちゃんが子供たちの代、孫たちの代に、遺産を残します。人間関係という遺産です。親族の横のつながりが生まれ、残されます。親族のつながりがどんなものであるか、それはおじいちゃん、おばあちゃんが、どんな生き方をしてきたか、何を大切にしてきたか、どんな親族を作ろうとしてきたか、を大いに反映したものになります。
あなたは、どんな人間関係を残していくことになるでしょうか。
あなたはどんな人間関係を、どんなふうに大事にして、その影響を次の世代に残して行こうとしているでしょうか。
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コメント
(一応)クリスチャンですが、この箇所を深く理解していないので
続きを楽しみにしていました。
400回以上配信をしていれば、
少しくらいのハプニングもいいのではないでしょうか^^