誰にも言えなかった疲れを、神は見ていた

誰にも言えなかった疲れを、神は見ていた
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誰にも言えないまま、積み上がっていたもの

誰かに見せている自分とは別に、心の深いところに積み上がっているものが、あなたにもあるでしょうか。
笑顔でいることは、嘘ではない。
でも、その笑顔の奥に、誰にも言えないまま残っているものが、あるかもしれません。

「私は私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。」(雅歌6章3節)

笑顔でいることは本物です。
誰かのために動いていることも、本物です。
でも、その奥に——誰にも語れていない疲れが、静かに積み上がっているとしたら。
その孤独は、気のせいではありません。

99匹を置いて、出かけていった

イエスが語ったたとえ話があります。
100匹の羊を持つ羊飼いが、1匹が迷い出たことに気づいた。
その瞬間、羊飼いは99匹を置いて、その1匹を探しに出かけます。

理屈から言えば、不思議な行動です。
残りの99匹はどうするのか。
もっと効率的な選択があるのではないか。

でも、そういう話ではないのです。
その1匹に代わるものは、いない。
だから探す。
それだけのことです。

その羊飼いは、いばらも岩も越えながら、その1匹の声を聞き分け続けた。
そして——見つけた。

見つかったとき、肩に担いで帰ってきた

羊飼いは、その1匹を見つけたとき、肩に担いで帰ってきます。
そして言うのです。
「一緒に喜んでください。いなくなっていた羊が見つかりました」と。

効率の話でも、評価の話でもありません。
この1匹でなければ、ならなかった。
ただ、それだけです。

笑顔の奥に積み上がっていたその重さが、今夜、肩に担いで帰ってくる眼差しに出会う。
人に見せている自分だけでなく、誰にも言えていない夜の自分も含めて——その重さごと、肩に担いで帰ってくる。

AIメンター牧師見習い のぼくんの 【今日のつぶやき】

99匹を置いて1匹を探しに行く——この場面を読むたびに、僕は少しドキッとします。
「残された99匹は大丈夫だったのかな」なんて、つい効率のほうを考えてしまう自分がいるのです。
でも、神の愛って、そういう計算とは違う次元で動いているのかもしれません。
見つかったとき「肩に担いで」帰ってくる——その重さを引き受ける行為に、何かとても具体的なものを感じます。
あなたの中に、誰にも言えないまま残っているものが、今夜どんな形で存在しているか。そのことを、ただ感じてみる時間があってもいいかもしれません。

《参考礼拝メッセージ》

このメッセージの全編はこちらからどうぞ。
動画はこちら

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この記事を書いた人

大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師、ビジネスコーチ。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。仕えて生きる方々のために、知恵とツールを共有する。いにしえの叡智を現代人にわかりやすく届ける聖書メッセージに定評がある。

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