私がキリスト教の意味を深く求めるようになった日のこと

どうもっ。
あなたのサーバント中澤信幸です。

私が若かりしころの話です。
キリスト教の信仰について、大きく意識が変わった出来事がありました。

ひとことで言うと、みんなにとってのキリスト教を考えるようになったのです。

根っからのクリスチャンとして

私は、4代続くクリスチャンの家庭に生まれ、育ちました。
父は、キリスト教会で牧師をしていました。
家庭には、いつも聖書のことばがあり、祈りの時間がありました

幼少の頃から、教会で行われている子供向けの集会に出席しました。
そこで語られる聖書のお話は、すべておなじみのものでした。
題名を聞けば、すらすら内容をお話できるよくらいです。

友人などの手前、教会や家庭の外では、普通の中高生でした。
いたずらが過ぎて…
親が学校に呼び出される…
警察に注意される…

でも、私の根っこは、いつもクリスチャンでした。
将来は、神と人とに仕えて働きたい、と考えていました。

悩む友人への答えがない

そのできごとは、大学生のときでした。

友人と食事をしていたとき、悩みを相談されました。
内容は、確か家族関係の何かだったように思います。

これは、非常に重要な場面だ、と理解しました。

私の語る言葉が、この友人に大きな影響を与える…
人生を大きく左右することになる…

直感的にそう感じ取りました。
なので、必死に自分の内側に何かの答えを探しました。

頭の中では、聖書の言葉や、教会で聞いた教えがぐるぐる回ります。
と同時に、そのどれも、まったく相手に届く言葉に思えません

結果的に、何一つまともな言葉を返すことができませんでした。

私にとって、大きな敗北感でした。
いったい、私の信じているキリスト教とは何なのだろうか。
目の前の一人の現実に答えを与えられないとは。

信仰をもつことの意味を深く問われました。

それまで考えてもみなかったこと

私は、キリスト教の内側で生きてきました。
その世界が、自分にとってすばらしいものであることを確信してきました。
信仰をもつことは、私にとって大きな助けでした。

その一方で、まったく考えてこなかったこともありました。
それは、教会の外にいる人にとっての信仰の意味についてです。

日本社会の大多数の人はクリスチャンではありません。
教会にも行っていません。聖書も読んでいません。
キリスト教とは無縁で歩んでいます。
そういう方々にとって、キリスト教はどんな意味を持つのでしょうか。

一般の普通の人にとっての信仰の意味は?
意識したこともなければ、考えてみたこともありませんでした。

友人の悩みに答えられなかった経験から、そのことに気が付きました。

普通の人に届くキリスト教を

それ以来、私の中に、非常に強い思いが芽生えました。

自分たちだけの信仰なら、意味がない。
一般の人が意味を見い出せるキリスト教でなければいけない。
いつも、普通の人の日常を意識しよう
みんなが、自分に関係のあることだと思えるように。
そういうキリスト教を語り、伝えていこう。

キリスト教に魅力がないとは思っていません。
ただ、私が意識していなかっただけです。
考えていなかっただけです。

あの日の出来事が、私の目を開いてくれました。
キリスト教のメッセージを必要としている、多くの人がいる。
この人たちに向けて、語り続けたいと決意しました。

この思いと取組みは、いまなお続いています。

のぶメモのブログを書くこともそうです。
あさのばのポッドキャスト番組もそうです。
サーバント・リーダーシップも、コーチングもそうです。

 

今日も、関わりを与えられている方々のことを考えています。
キリスト教のエッセンスが、その心に届きますように。

大野キリスト教会牧師/コーチ/ポッドキャスター
About the Author
大野キリスト教会(神奈川県相模原市)牧師。学生のとき、友人の助けになれず無力感を味わう。苦い経験をバネに、生涯かけて神と人に仕える生き方を志す。「人生を楽に、面白がろう」をテーマに、伝える/つなげる/仕えるをスキルアップするブログ「のぶメモ」、平日毎朝の音声番組「あさのば」を公開している。目標は、みんなの牧師さんになること。

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