0339 「殺すな」と命じられている、しかしわたしは…

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どうも、早起き牧師の中澤信幸です。

 

2018年6月7日木曜日、第339回目の放送です。

 

イエス・キリストの名言、人と仲良くできないことについてです。

 

 

イエス・キリストが、人々に向かってこう話されました。

「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」

 

「殺すな」以上の戒め

昔聞いている、と語られた、「殺すな、人を殺した者は裁きを受ける」ですが、これはモーセの十戒に定められていた掟です。人の命は尊いもの、その命をむやみに奪ってはならない、と戒めています。おそらく、このことについては、誰でも「そうだよね」と納得しているでしょう。どこの国の法律であっても、殺人は罪に問われるものです。

ところが、イエスキリストは、腹を立てる、バカと言う者、愚か者と言う者ですら、裁きを受けるのだ、と言いました。どんなに厳しい戒めでも、どんなに厳しい国の法律でも、こんなことまで裁かれるという法律はありません。

イエス・キリストは、とても厳しい基準を提示しました。だいたい私たちの外側に出てくる行動は、心の中から始まるものです。小さな心の中の思いがだんだん大きくなり、言葉にする、エスカレートして行動が伴う、そして過激な行動に至るわけでしょう。だから、その一番最初の腹を立てること、口にしてしまうことから戒められています。

 

できることをいますぐ

もう一つ興味深いのは、もし腹を立てていて、仲良くできない人がいることを思い出したら、たとえ祭壇にささげものをしているときであっても、ささげものを置いて、すぐに戻って行って、その人と仲直りしてから、もう一度来なさい、と言われていることです。

それほどまでに、このことは緊急を要することなんだ、今すぐできることをすべき、由々しき事態なんだ、と言っています。今すぐ、このことについてほっておかないで、できることをすべきなんだ。

 

信仰は安心を与えるが、甘えを許さない

イエス・キリストの言葉を聞いていると、信仰とはどういうものなんだろうか、深く考えさせられます。信仰は、許されている、守られている、導かれている、そのようにして安心を与えてくれるものです。と同時に、甘えを許すものではありません。許されてるからなんでもいいのだ、許されているから腹を立ていいのだ、というように甘えを許すものではありません。

信仰は安心を与えるが、甘えを許すものではない、と言ったとき、私たちは自分の歩みについて、責任を持って、しっかり取り組んでいく必要があります。腹を立てること、怒ること、人と仲良くできないことについて、真剣に考えるように。イエス・キリストの語りかけは、私たちに対する大きなチャレンジです。

 

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中澤信幸(キリスト教牧師✕ライフコーチ)

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