ときどき、読者の方から、質問を受けることがあります。
そんなときには、個別にお答えするよりも、
ブログに回答を掲載して、
同じような興味、関心、疑問をもっている方の助けに
なるようにしています。
今回は、聖書の中の「改名」について、質問をいただきました。
[help]聖書の中で、アブラムがアブラハムになり、
サライがサラになりましたよね。
神様は、なぜそんなことをなさるのでしょうか。
[/help]
そうですよね、不思議ですよね。とてもよい質問だと思います。
新しい名にこめられた神の思い
アブラムがアブラハムになった経緯は創世記17章に出てきます。
もともとのアブラムの名前の意味は「高貴なる父」です。
神が与えたアブラハムの名前の意味は「多くの国民の父」です。
神が、多くの子孫を増し加えると約束したことを受けての改名です。
サライがサラと呼ばれるようになった経緯も創世記17章に出てきます。
こちらは、名前の意味的に大きな変化はない、と言われています。
神がこれから与えようとしている歩みが、いままでの単純な延長ではなく、
さらにすばらしい歩みに導かれることゆえの改名でしょう。
神が人の歩みの全責任をもつ
アブラハムとサラの改名の件を見てみると
- 神ご自身が改名するように命じている
- 神が与える歩みを示唆する名前である
- 人間の範囲を越える導きが備えられている
ということが理解できるでしょう。
つまり、神がわざわざ改名を命じる、ということは、
その後の人生について、神ご自身が絶対的な権威をもって導き、
そのすべてにおいて責任を持つ、という意思表示だということができます。
新しい名前をいただいた人物たちも、神にある新しいアイデンティティーで、
生きていくようになりました。
私たちにとっては?
今のクリスチャンは、新しい名前に改名されることはありません。
でも、「キリストにある」という新しい名札をつけて、
生活の場に戻っていくことになります。
神は、キリストにあるあなたの歩みについても、
同じように導き、責任をもってくださっています。
あなたにとって、新しい歩みはどんな意味をもっていますか?
中澤信幸は、自分の信仰が明確になったとき、
いままでの自分の名前が新しい意味をもつようになった、と感じました。
こんなふうに質問にお答えすることもありますので、
素朴な疑問、聞いてみたいことなどを、気軽におよせください。
明日は何の記事を書こうかなぁ?。
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