どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2017年10月26日木曜日、第184回目の放送です。
人に親切にすることについて、深く考えさせられる、イエス・キリストのたとえ話を紹介します。
Podcast: Download (Duration: 6:21 — 4.4MB)
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2017年10月26日木曜日、第184回目の放送、お相手は中澤信幸です。
よきサマリヤ人のたとえ話
毎週木曜日はイエス・キリストが語られたたとえ話を紹介しています。今日お話しするのは、よきサマリヤ人として知られているたとえ話になります。
ある人が強盗に襲われて、重体になってしまいました。道に瀕死の重傷を負って、横たわっています。そこに祭司が通りがかりました。祭司は、このけが人を見て、避けるようにして道の反対側を通り過ぎていきました。次に通りがかったのはレビ人です。彼もまたこのけが人を見ると、避けるようにして道の反対側を歩いて行きました。
さらに通りがかったのが、サマリヤ人でした。この人は、けが人を見ると近寄って、そして抱きかかえ、介抱してやります。けが人を連れて宿屋に行き、介抱してくれるように依頼します。支払いは私が払うからと言って、そこを後にしました。
誰が隣人になったのか?
イエスはこのたとえ話を話されたあと、誰が隣人になったと思いますか?と聞きました。人々は、もちろん、これがサマリヤ人であったことを知っています。
このサマリヤ人という人たちはは、もともとユダヤ人と犬猿の仲にあって、決して相手を助けたいと思うような人たちではなかったんです。でも、重傷を負っているこの人を見て、決してほっておくことができない、と近寄って、介抱したわけですね。
イエスはそのことを理解した人たちに、行ってあなたがたも同じようにしなさい、と話しかけます。行ってあなたがたも同じようにしなさい。
人に親切にするとは?
このたとえ話は、もともと私の隣人とは誰ですか、と聞いた人の問い掛けに答えたものでした。問い掛けた人は、私はみんなに親切にしている、仲間に親切にしている、私はいい人だ、と自信満々に問いかけをしたようです。でも、そんな彼に対して、あなたは本当に大切な人、本当に必要な人に親切にしていますか?たとえ自分が助けたくないと思うような人にでさえ、必要であれば助けの手を伸べることができますか?と。そう問いかけられたわけですね。
私たちの愛の深さというか、親切心の大きさっていうか、本当にあなたはそういうふうに歩むことができるか、を問い掛けられているようです。
あなたもあの人に対して
このたとえ話を聞いて、あなたはどんなふうに思われますか。もう言い訳のしようのないぐらい、わかりやすい例えだと思うんですね。敵対する人ですらさえ助けてやった人と同じようにしなさい。
もしかしたら、皆さんの頭の中には、この人にも?という人が思い浮かんでるかもしれません。まさか、こんな人には、そうしろと言わないよね、そんなふうに思う人がいるかもしれません。でも、そんな人のことを指して、あなたもいってその人のために同じようにしなさい、と言われているとしたらどうでしょう。どんなに大きなチャレンジでしょう。果たしてそれはどういうふうにしてできるのでしょう。少し心の中で考えてみていただきたいと思います。
このたとえ話はですね、実際に行ってすることが大事というよりは、そのことを考え始めて、自分の中で葛藤し始めること。いったいどういうことなんだろうか、と問いかけ始めることが重要です。あの人にも?と思うような人がいたら、ぜひあなたも心の中で考え始めてください。
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