0125 整えられるとは、役に立つように変えられていくこと

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どうも、早起き牧師の中澤信幸(@nobun)です。

2017年7月28日金曜日、第125回目の放送です。

リスナーからいただいた質問にお答えしています。

2017年7月28日金曜日、第125回目の放送、お相手は中澤信幸です。

整えられるってどういうこと?

クリスチャンのリスナーの方から質問をいただきました。ありがとうございます。「キリスト教の教えている、整えられるとは、どういうことですか?なんとなくピンと来なくて、ということでした。

ありがとございます。そうですね。聞かれないと、あまり考えないで、使ってしまっている表現なので、説明がいつも足りないかもしれませんね。今日は、整えられるってどういう意味なんだろうか、少し考えてみましょう。

本来の姿がある

まず、整えられるといったときの前提があります。それは本来の姿があるということです。神様が、私たちを命を与えて、このようにお造りになった。私たちには、本来与えられている姿がある。特に、整えられるっていうことを考えたときには、私たちに与えられている使命がある、役割がある。そのことを思い描いてください。本来の姿、果たすべき役割、使命があるということです。

そぐわない現実がある

次に、そぐわない現実があることもまた覚えておきましょう。私たちの生活の中には、こうした方がいい、こうしなければいけない、これはしてはいけない、ということがあります。本来の姿と比べて、求められることです。

でも、わかっているのにそれをすることができない、わかっているのについついしてしまう、そういった本来の姿とは程遠い、逸脱した姿を自分の中に見つけるときがあります。いやぁ、どうしたものだろうか。私の中でどうしたらいいんだろうか。そう思わされる性質だったりします。これが整っていない、という状況ですね。本来の役割、使命を果たすのに、どうもふさわしくない、という意味です。

プロセスを経て回復する

本来の姿があり、逸脱した姿があるときに、様々なプロセスを経て回復していく、整えられていく、ということが起こってきます。

ここで言う、様々なプロセスというのは、例えば失敗をしたとか、試練を通して自分の足りなさに気づかされる、とか。こういうふうになっていくべきなんだ、と気づかされる、あるいは人から多くのことを学んでいく、聖書から必要なことを身につけていく。誰かに褒められて、自分の良いところが伸びていく。

そういうプロセス、様々なことを通して自分がふさわしくなっていくことを、整えられると言います。

もちろん、その背後には、この使命のために、役割のために、私を用いてそれをしようという神様が、私をその役目にふさわしく整える、それにぴったりのように私をしてくれる、そういう導きがあることは言うまでもありません。

そこに喜びがある

このことが実現して行く中に、私たちの喜びもあるということを覚えておいてほしいと思います。自分が本当に楽に生きられるようになる、っていうことですね。

本来の姿でない、という自分のジレンマや葛藤から解放されて、これこそ私の姿だ、自分として楽に生きられるようになっていく、他人との比較をしないで済むようになっていきます。あの人はあんなに素晴らしいのに、私はこんなにダメだ、というような比較をする必要がもうないわけです。

自分が自分として整えられていく姿の中に、これこそ私の歩みだ、私はこの歩みを本当に喜びとしている、そういうところに導かれていくことになります。

完成された木べら

1つのイメージををお話したいと思います。ある方が、料理器具の木べらをくださったんですね。きちんとした箱に入っていたんですけれども、箱を開けてみて、まぁなんかびっくりしました。というか、拍子抜けしましたね。木べらなんですけど、なんか変な形してるんですよ。なんのへんてつもない木の板みたいな感じで、100円ショップでも売ってないような、ちょっといびつな形をしたフォルムだったんですね。でも、これがですよ、使ってみるととんでもない。手の馴染み方から、重さというか、軽さというか、そして料理に使うときのかき混ぜやすさ、とかですね。もうピカイチなんですよ。なんでこんな形してるんだろう、変だな、いびつだなと思ってたのが、手に馴染みますしね。余計なものがない、というのが、これほど使いやすいのか、という感じなんですね。

木べらの素晴らしさっていうのは、なんだろうなぁって思うわけです。見栄えが良いわけでもないかもしれない。でも、木べらの役割は十分に果たしている、十分すぎるほどに整えられている用具だなぁ、と感じました。ここら辺に、整えられるということの真髄があるように思います。

有能であるよりも有益であること

神様が用いる、使命を果たしてほしいと願っている。そのことのために自分自身が用いられやすくなっていく。そういう意味での整えられる、ですね。ある人はこれを「有能であるよりも、有益であることを願いたい」と言いました。有能、つまり何でもできるということよりも、有益、つまりそのことのためにお役に立つものでありたい、私たちの歩みもそうなんだろうな、と思います。

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キリスト教牧師/コーチ/ポッドキャスター。 「いつだってあなたのために」「自分もみんなも幸せになる生き方」 大野キリスト教会 | 聖書 | いい人 | サーバント・リーダーシップ | NPO | コーチング | ポッドキャスト | パブリックスピーキング | 相模原 | 相模大野
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コメント

  1. こはる日和 より:

    整えられるってこういう意味だったのですね。

    私はイエス様のようになる。
    とか
    神様の視点で見る。と思っていました。

    「おたま」でも「しゃもじ」でも、どんな道具として用いられるのか
    わかりませんが、自分の使命を見つけて、
    よろこんで仕えていけるようになりたいです。

    • こはる日和さん、ありがとうございます。

      イエスのようになる、神の視点で見る、
      どちらも正解だと思います。

      ようは同じことを言っていますので。

      仕えることの喜び、味わえるといいですね。