どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2017年10月6日金曜日、第170回目の放送です。
英語をうまく話せない理由は、日本人がいる中で話さなければいけないから、というお話しです。
Podcast: Download (Duration: 7:38 — 5.2MB)
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2017年10月6日金曜日、第170回目の放送、お相手は中澤信幸です。
英語を話す難しさ
今、私たちの教会に、アメリカの教会からのお客さんが来ています。 6名のメンバーが来日をしてくれているんです。そういう中で、教会の方々も一生懸命に英語でコミュニケーションを取ろうとしています。とても嬉しいことです。
それで、いちばんの難しさは何かな、って思ったときに、英語力のなさではなさそうなんですね。単語がわからないとか、相手が早口で何を言っているのか聞き取れないとか、そういう英語力のなさ。実は、あんまり大きな問題ではないな、と感じています。
隣に日本人がいる中で
むしろいちばん大きな問題は何かなというと、隣に日本人がいることなんですよね。私は、自分のこととして、強くそう思っています。通訳をすることもあるんですね。でも、通訳をするたびに、目の前にいる人たちの顔を見ながら、「この人たちの中には私よりもはるかに正確にわかっていう人たちがいるに違いない」「そんな人たちを前にして、なんで私が理解をしていないことを無様にさらけ出すような通訳をしなければいけないんだろうか」「あの人はわかってないのに、ああいうふうに訳したなって思われてるんだろうな」心配になるわけです。
あるいは、英語で何かを相手に伝えますよね。そのときに、隣に日本人がいると「この人、私の英語はめちゃくちゃだと思って聞いてるんだろうな」「文法がなってないな、とか、発音悪いなーとか、思ってるんだろうな」と思いながら、コミュニケーションすることになるんですよね。
一人なら、めちゃくちゃでも
日本人がいなければ、1人で外国に行っていれば、そんなことは気にしませんからね。めちゃくちゃな英語だろうがなんだろうが、体当たりでがんばって、一生懸命コミュニケーションしようとする。何とか通じたり、やっていけたるものですよね。
なのに、日本人がいるとダメなんですよね。たぶん、比較をしているっていうことなんだと思うんです。あの人はできる、私はできない、みたいな比較ですね。一番でないことが不十分であるって感じるんだと思うんです。この中でいちばんできるわけじゃないのに、私よりできる人がいるっていうのに。
自分がやらなきゃいけない、不十分じゃないか、あの人ならもっとうまくできるのに。そういう不十分感を味わいながらトライするのは、けっこうしんどいわけです。
自分でやったからこそ
一方、逆にですね。誰もいなくて、自分だけで思い切ってコミュニケーションをとってみたときに、得られるものは何かな。自分がしたということの充実感ですね。誰でもない、他の人に頼ったわけでもない、自分がこの人と直接コミュニケーションをとることができた、という感覚。これはですね、とても大事なもの、人任せにしていては絶対に得られないものなんですよね。
誰かを介してコミュニケーションしたら、この人と本当にやり取りをしたっていう感覚は、なかなか持ちにくい。だから、片言でもいいから、メチャクチャでもいいから、やっぱり私がこの人と話をする、お話を聞く、そういったダイレクトな関係を作りたい。まあ日本人がいるということには、この際目をつぶって、気にしないでというか。できるだけ自分が直接この人とやりとりをしたい、と思うところです。
不十分感との戦いの中で
皆さんも、おそらく英語をしゃべらなければいけない。もっとできる人がいるのに、とか。仕事のプレゼンをしなければいけない、もっとよくわかってい人がいるのに、とか。自分に任されたけど、本当はもっとできる人がいるのに、とか。そう思いながら、やることあるんじゃないでしょうか。
でも、ぜひ自分でやってほしいですね。これを私がやったという充実感は、やっぱり自分でやらなきゃ、得られないものです。そこのところを大事にして、人との比較に悩まされることができだけないように。これ大事ですよね。
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[bctt tweet=”ぜひ自分でやってほしいですね。これを私がやったという充実感は、やっぱり自分でやらなきゃ、得られないものです。” username=”nobun”]
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コメント
ぜひ自分でやってほしいですね。これを私がやったという充実感は、やっぱり自分でやらなきゃ、得られないものです。 https://t.co/qvVhjSXD8S @nobunさんから
ありがとうございます。クリアな放送でした。
今日のお話し、全くその通りだと思いました。
日本人に対する恥ずかしさを超えて、伝えたい、聴きたい気持ちが膨らめば話せる!かな???