0179 許される自分を素直に受け入れること

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どうも、早起き牧師の中澤信幸です。

 

2017年10月19日木曜日、第179回目の放送です。

 

許すこと、許されることをテーマにした、たとえ話を紹介します。

 

 

[note]

2017年10月19日木曜日、第179回目の放送、お相手は中澤信幸です。

 

借金のあるしもべ

毎週木曜日は、イエス・キリストが語られた、たとえ話を紹介しています。今日のたとえ話は、王様に借金のあるしもべの話です。

王様が財産の整理をすることにしました。借金のあるひとりひとりを呼んで、その借金を清算しようとしたわけです。まず、いちばんはじめに呼ばれてきたのは、1万タラントの借金があるしもべでした。1万タラントは、日本円に直すと5,000億円とか、6,000億円とかいう、多額の借金のようです。

返済を迫られたしもべですが、その時に返済することができませんでした。なので王の前にひれ伏して、どうぞ猶予してください、必ず支払いますから、と願います。すると王はその様子を見てかわいそうに思って、借金を免除してやったといいます。つまり、全額その借金をなかったことにしてやったというんです。なんと気前の良い王様でしょう。かわいそうに思って、哀れんでやったというのがよくわかるシーンですね。

 

自分は許されたのに

借金を免除されたしもべが、王様のところから出てきました。すると、仲間のしもべに出会います。そこで彼は思い出して、お前は俺に借金があるじゃないか。その金を返せ、と迫るわけです。首をつかまえて、その借金を返せと言うわけですね。仲間のしもべは、ちょっと待ってくれ、今は返すことができないから、と言うわけですが、そんなことを言っていてはダメだ、と言って、この仲間を牢に入れてしまいます。

この様子を見ていた仲間たちが王に告げ口をしました。王様はこのことを聞いて、私があなたを許してやったのではないか。あんなに頼むから哀れんで許してやったというのに、なぜあなたはこんなことをするのか。あなたも哀れんでもらったように哀れむべきではなかったか、と言って、許されたはずのしもべを牢に入れてしまいました。

 

なぜ許せなかったのか

このたとえ話は、許された者が、許されたように許すことが必要だ、というたとえ話になりますね。ちょっとだけ考えてみたいんですけれども、なぜ借金を許されたしもべは出て行って、借金の取り立てをしたんでしょうか。なぜ自分があんなにも多く許されたのに、相手に向かっては小さなものを許すことができなかったんでしょうか。

許された直後に、この人は首を捕まえて、借金の取り立てをしてるんですね。おそらく、王様の前で自分自身が膝をかがめて、ひれ伏して、哀れみを乞うた、その経験が面白くない経験だったんだろうと思うんです。本当は借金をちゃんと返して、王様ありがとうございました、と言えるのが、いちばんかっこいい姿ですよね。でも、そうではなかった。惨めに、借金を返すことができない。どうぞ猶予してください、と言わなければならなかった。許されたから喜べるはず、なんですけど、自分が屈辱的な思いをしたということの方が残っていて。出ていったときに、仲間のしもべに出会って、借金を返せと取り立てた。八つ当たりいう感じですよね。

 

まずは、許される自分を受け入れること

私たちは人を許すと言ったときに、まず自分が許されていることを受け入れることが必要だと思うんです。自分が許されているということは、つまり、自分は許されなければいけないような存在なんだっていうこと受け入れることが必要なんですよ。許しなんか必要ない、私は立派な人なんだって思っていたら、この許されるという現実につき当たった時に、私は本当はこんなはずじゃないのに、という、変な自分の中のわだかまりだけが残っていく。許されたことの喜びよりも、わだかまりの方が残る。

許されているんだ、本当にもういいんだ、っていうふうに受け止めるために、私たちは許される必要のある自分を受け入れることからはじめる必要があります。

人を許すのは、なかなか簡単なことではないと思います。でもね、その許すということの中に、本当に多くの解放というんでしょうかね、今までには得られなかった心の平安というのが得られるように思います。是非このことがテーマに、課題になっている方は、諦めないで取り組み続けてください。

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中澤信幸(キリスト教牧師✕ライフコーチ)

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