0204 せっかくの招待なのに断ってしまうだなんて

 

どうも、早起き牧師の中澤信幸です。

 

2017年11月30日木曜日、第204回目の放送です。

 

何を引き換えにしても惜しくないほどすばらしいもの、というイエス・キリストのたとえ話を紹介します。

 

 

[note]

  • 神の国で食事をする人はなんと幸いなことでしょう
  • 盛大な宴会、大勢の招待客が招かれた
  • それぞれの理由で来るのを拒んだ
  • 貧しい人、体が不自由で困難な生活をしている人が招かれた
  • 無理矢理にでも宴席に連れてこられた人もいた
  • 招待客で食事をともにできる人はいない
  • 理由はそれぞれあるけれど、あまりにもすばらしすぎる機会なのに…

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コメント

  1. みおつくし より:

    おはようございます。ちょっと今日のお話は、私にとって難しかったのですが、キリストが言った、「最初に招かれていた客の中には、一緒に食事をする人がいない」というのは、実際の私たちにとっては、どういう意味なのでしょうか。
    神の歩み、正しい道、というのが示されているのに、色々理由をつけてその道を進むことができない、という意味なのかな、なんて勝手に思ったりしたのですが…
    あとは、貧しい人とか、体の不自由な人達がその後招かれたということは、そういう方の方が救われる、ということなのか、など、色々考えてみたりしました。
    「最初から招かれていた人」「無理やり宴席に連れてこられた人」というのは、私達の中でどういう人をさしているんでしょうか。
    色々質問ばかりですみません。

    • みおつくしさん、コメントありがとうございました。
      わかりにくいのは、私の説明が悪かったからです、すみません。

      このたとえ話のメインのポイントは、「せっかくの招きなんだから断らないで」です。
      書いてくださったとおり、招かれているのに、いろいろ理由をつけて断ってしまうような、私たちに語りかけています。

      それを強調するために、「招かれた人ではなくて、招かれざる人たちのほうが宴席につく」とか、「無理矢理にでも連れてこられる人が宴会に来る」とか、そういう要素が加えられています。

      なので、あまり最初に招かれたのが誰、あとからの人たちは誰、というふうに、無理矢理にこじつけなくてもいいでしょう。

      ただ、当時の状況を考えると

      • 最初に招かれて断った人たち=ユダヤ教徒で熱心なのにイエス・キリストを認めない人々
      • あとから招かれて宴席に着いた人たち=神から遠いとされていた異邦人たちでキリストを信じた人々
      • 無理やり連れてこられる人=神がなお救いに導こうと願って手を伸ばしている人々

      というふうに考えることができるでしょう。

      少しは理解の助けになったでしょうか…