0319 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。

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どうも、早起き牧師の中澤信幸です。

 

2018年5月10日木曜日、第319回目の放送です。

 

イエス・キリストが語られた6つ目の幸いについてお話しします。

 

 

心の清い人は幸いである

イエス・キリストは、山上の説教の中で、人々の幸せについて語りました。8つの幸せのうち、6番目の幸せについて、紹介します。

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自分の心と神の心が重なり合う

心の清い人というのは、どういう人のことでしょうか。ここでいう、清さというのは、純粋さという意味です。純度が高い、ということです。まじりけが何もない、非常にクリアに、それそのものであるということです。

心が心そのものであるって、どういう意味でしょうか。私たちの心というのは、生まれながらの心がありますね。自分が思い、考え、行動する、その核となる部分が宿っているところです。何を考え、どういうことを願い、どういうふうに行動を決めていくのか。そのことが、自分がもともと持っている心です。

と同時に、神様にあって与えられている心、というのもあるわけです。神様を知ったからこそ、こういうふうに思い、こういうふうに願い、こういうふうに考え、行動している。

自分の元々の心と、神様にある心とが、ぴったり重なり合って、そして無理なく、ずれなく良いものとして統合されている状態を、「きよい」ということができるでしょう。私が何気なく自然に思い、考えることが、すでに神様から与えられているものとぴったり重なって来る、そういう状態ですね。

 

神と親しく歩むことの幸い

そういう心のきよさをもつものは、幸いである、と言われています。その人は神を見るのだというのです。

神を見ると言ったとき、二つの意味合いがあります。一つは、この地上において、そういう心のきよさを持って歩むということは、神を見上げながら、神と親しい、近しい関係を密に保ちながら歩むことのできる、素晴らしい歩みになりますね。

あわせて、もうひとつは、やがて来るときに神ご自身の御顔を近く見ることができる。そういうところに、私たちが招かれ、迎えられていく、っていう意味でもあります。

 

そんな心のきよい歩み、本当に素晴らしい歩みです。ぜひとも、神様からそのきよさを与えていただいて、ご一緒に歩みましょう。

 

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中澤信幸(キリスト教牧師✕ライフコーチ)

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