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誰かと誰かが揉めている。自分には関係ない、と思いたい。でも、なぜかその空気があなたの重荷になっている。その感覚は、気のせいではないかもしれません。
「ユーオーディアに勧め、シンティケに勧めます。あなた方が主にあって同じ思いになってください。そうです、神の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。」
ピリピ4章2〜3節
二人の問題、ではなかった
教会の中で対立が起きた。原因はわからない。でも関係が壊れているのは確かだ。
パウロはその状況を知って、手紙に書きました。しかも、教会全員が読む手紙に。「ユーオーディアとシンティケよ、仲直りしなさい」と。
これは当時、かなり不名誉なことでした。他の教会に行けば「ああ、喧嘩してた人たちね」と言われる。パウロは二人にとって、それなりにつらいことをしている。
でも、なぜ公開の手紙に書いたのか。
それは、これが「二人の問題」ではないと、パウロが考えていたからです。教会の交わり全体の問題だと、とらえていたから。
二人が仲直りして終わり、ではない。教会が変わるべきなのだ、と。
「神の協力者よ、あなたにもお願いします」というこの言葉は、特定の誰か一人ではなく、手紙を読んでいる全員に向けられた言葉だと言われています。
「自分には関係ない」が、すでに選択になっている
教会の中で、誰かと誰かの関係がぎくしゃくしているとき。あるいは、何かが少しずつ歪んでいると感じているとき。
「あれは当事者たちの問題だ。私にはどうしようもない」と思うのは、自然なことです。
でも、パウロはそこに「神の協力者よ」と呼びかけた。
この交わりは、あなたを含めて成り立っている。だから、あなたが傍観者でいることも、ひとつの「参加」の仕方だ、ということです。
もちろん、抱え込めということではない。すべてを解決しろということでもない。
ただ、「自分には関係ない」という立ち位置が、すでに交わりの中の一つの姿勢になっている。パウロはそのことを、静かに指摘しています。
「あなたがいなければ、この礼拝は完成しない」という言葉があります。これは励ましの言葉であると同時に、重さのある言葉でもあります。あなたがここにいる意味があるのなら、ここで起きていることも、あなたとまったく無関係ではないのだ、という意味でもある。
誰かと誰かの間にある亀裂は、二人だけで抱えることでも、リーダー一人が解決することでもない。それが教会の交わりというものの、少し重たい、でも正直な姿なのかもしれません。
考えてみましょう
あなたの周りで誰かと誰かの関係が壊れているとき、「これは自分の問題ではない」と感じているか、それとも「自分も何かを担っている」と感じているか——その違いは、どこから来るのでしょう。
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