Podcast: Download (Duration: 25:56 — 16.4MB)
購読はこちらから Apple Podcasts | Email | RSS | くわしい購読方法
毎日、誰かのために動いている。
でも、誰かに気づかれるわけでも、特別な場所にいるわけでもない。
そんなとき、「私がここにいることに、意味はあるのだろうか」と思うことはないでしょうか。
聖書箇所:
「マリアは言った。本当に私は主のはしためです。どうぞあなたのお言葉通りになりますように」
(ルカの福音書1章38節)
神の業は、端の場所から始まった
マリアは「はしため」と自分を呼びました。
「はしため」という言葉は、漢字で書くと「端女」。
中心にいてすべてを仕切る人ではなく、端の方で静かに仕えている人。
そういう意味の言葉です。
もう一つの書き方は、女偏に「卑しい」という字。
「私は小さな者です。取るに足らない者です」——そういうことを表す言葉です。
マリアはその言葉を、みずから選んで使いました。
でも、神はその「端の場所」にいるマリアを選んだのです。
立派な家柄でもなく、特別な地位があるわけでもない。
婚約中の若い女性を。
そして、全人類に関わる出来事を、その人を通して起こされました。
知らせの「半分しか聞けていない」としても
マリアに御使いが告げたとき、彼女は戸惑いました。
「どうしてそのようなことになり得ましょう」。
神が語りかけた言葉の全体像は、まだ見えていなかった。
未婚の母になるという事実が頭を占めてしまって、「この子が救い主となる」というその先が、心に入ってこなかった。
それは弱さではありませんでした。
ただ、人間には当然のことでした。
老夫婦のザカリアとエリザベスも、同じでした。
子供が与えられるという喜びに心の9割9分が占められて、その子が神の業のためにどう用いられるかは、二の次になっていた。
誰もが、知らせの「半分しか聞けていない」状態で、そこにいたのです。
状況が変わったから、賛歌を歌ったのではない
それでも、この話には変わり目があります。
マリアはその後、賛歌を歌います。
「神が私に大きなことをしてくださった」と。
でも、その時点でマリアの状況は変わっていませんでした。
未婚のまま子を宿すという現実は、そのままです。
何が変わったのか。
それは38節の、あの一言です。
「どうぞあなたのお言葉通りになりますように」。
神の業が進んでいく。
私はその端の場所に立って、仕えていく。
——そう委ねた瞬間に、彼女の内側から賛歌があふれてきた。
「もし神が私たちに滅びをもたらそうとしているなら、誰がそんな言葉を言えるでしょうか」。
でも神は、良きことを願って私たちに近づいてくる方です。
だから、「お言葉通りになりますように」と言えた。
神の業は良いものです。
それを信じているから、端の場所に立っていられた。
今日も誰かの見えないところで動いていること、気づかれずに祈り続けていること。
それは、弱いからではありません。
端の場所から始まる神の業に、あなたが加わっているということかもしれません。
考えてみましょう
自分には「半分しか見えていない」と感じることがあるとしたら、その見えていない残り半分を、少し手放して想像してみることはできるでしょうか。
参考礼拝メッセージ
このメッセージの全編はこちらからどうぞ。

コメント