どうも、早起き牧師の中澤信幸です。
2018年5月11日金曜日、第320回目の放送です。
透明すぎるガラスのお話しをします。
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透明すぎるガラス
アメリカのカリフォルニアに、アップルが新社屋を建てました。アップルパークというんだそうです。その中身が、あまり外の人にわかるわけではありませんが、こんなツイートがあったそうです。「新社屋がガラスばりで透明すぎて、そこに激突する人が後を絶たない。7人も今日は怪我をした」
遮るものに気が付かない危険性
透明すぎる、そこにあるのがわからずにぶつかってしまう。遮るものがあるのに、それに気がつかないということは、とっても危険なことですね。私たちの人生の歩みにも、同じことが当てはまるようです。
壁があるのに気が付かない。敵がいるのに気が付かない。誘惑があるのに気がつかない。改善すべき点があるのに気が付かない。本当はそこにある。そのことを乗り越えて行ったり、回避して行ったり、そのことに取り組まなければいけないのに、あたかもないかのように振る舞ってしまって痛い目にあう。
「向こうが見える=向こうに行ける」ではない
もちろん、ガラスが透明であるというのは、すごいことです。遮っていて、向こう側が見えなくて、不安になるということはありません。その透明なガラスの向こう側を見通すことができます。透明というのは、本当に素晴らしいことだと思います。
でも、それは遮るものがない、ということではありません。向こう側が見える、というだけで、れっきとした遮るものが存在しています。そのことを忘れてしまって、あたかもそれがないようにボンっとぶつかってしまうのは、愚かな歩みです。
気がついていれば乗り越えられる
遮るものがあるんだ、と意識しましょう。目の前には、向こう側に行くために乗り越えなければいけないことがあるんだ。向こう側に行くために取り組まなければいけないことがあるんだ。向こう側に行くためにそのままぶつかってはいけない。回避したり、工夫したりすることが必要なんだ。そういう私たちの意識をいつも持っていたいものです。
先々回ですかね、お話をしました。質問に行きつけば、答えはもうすぐ近くにある。それと同じようなことです。ここにガラスがあるんだって気がついていれば、乗り越える術は必ず見つかるはずです。そこにあるという意識を忘れないようにしましょう。
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